田中彰『明治維新と西洋文明─岩倉使節団は何を見たか』岩波新書2003年初版を読了。最終章「七 『米欧回覧実記』と『文明論之概略』」では、久米邦武と 福沢諭吉そして中江兆民の三者の世界観、歴史認識の違いへの論及が簡明にして的確。視野が広く射程が長い。良書だ。
《 「官」の文明は、「上から」の権威をまとっていた。しかし、これが地方へ伝播するや、地方の豪農商層を通して町や村へ広がり、やがてそれは、「下から」の 「文明開化」となった。自由民権運動の展開である。そこでは政府との対決がめざされていた。「官」の文明論が、「民」の文明論へと転化したのが、民権運動 だったのである。そこには連続と非連続がある。
明治十年前後の『実記』と『概略』との二つの文明論は、その意図を超えて、以後の日本において、近代化の潮流の一端をそれぞれが担ったということに なるだろう。 》 178-179頁
《 『実記』のなかのこの自己発見の指摘は、二十世紀、とりわけアジア太平洋戦争敗戦後も生き続け、日本は技術先進国となったことに通ずる。 》 196頁
『米欧回覧実記』の変転。
《 新聞記事の数字だから割引いてみたにしても、相当の部数で、その広がりがうかがえる。戦後の話だが、アメリカの研究者マリーン・メイヨ氏によると、 一九五八年、東京・神田の古本街で、二千五百円で『実記』を買い求めた、と注記されている(中略)。また、ボン大学のペーター・パンツァー氏は、一九六八年、 駿河台下の古本屋で購入したときは一万五千円という値段がついていたが、一万二千円にしてもらって「ひざがガクガクする思い」で買った、と述べている(中略)。 こののち、しだいに希少古書となった。私が入手した時もかなり高価になっていた記憶がある。 》 176頁
《 第一章でふれたように、『回覧実記』は、戦前から戦中・戦後までも、長いあいだ人々からは忘れられていた。しかし、私は『実記』は、日本近代国家への 選択肢の原点ともいうべきものを内包し、検討に十分価する貴重・不可欠の書である、とみたのだ。 》 200-201頁
午前、源兵衛川を愛する会の月例清掃へ。終えて下源兵衛橋で四方山話をしていると、何組もの観光客が川をゆっくりと上り下りしてゆく。近くの雷井戸を 案内して喜ばれる。気持ちよく帰宅。シャワーを浴びる。
ネット、いろいろ。
《 戦後作家で、天才と呼べるのは、山田風太郎と野坂昭如だけ! 》 鹿島茂
https://twitter.com/_kashimashigeru/status/915183036848791554
野坂昭如の処女作長編『エロ事師たち』講談社1968年初版を当時読んだ。装幀は司修。帯は三島由紀夫「人間通の文学」その冒頭。
《 これは世にもすさまじい小説で、文壇の良識派がときどき微笑をうかべて頭を撫でてやる「よく出来た中間小説」などといふやうな代物とはまるでちがふ。 醜悪無慚な無頼の小説であり、それでゐて塵芥捨場の真昼の空のやうに明るく、お偉ら方が鼻をつまんで避けてとほるやうな小説なのだ。 》
四十年ほど前に読んだきり。再読したくなるなあ。結末近くの描写をよく憶えている。
《 おやっさんのチンチン、ふんどしからはみ出して、死んだにもかかわらず、しゃんと天井むいて、まるで月にむかうロケットみたいにごついんですわ。 》
『てろてろ』新潮社1971年初版は、じつに面白かった記憶。再読したくて幾星霜。池田満寿夫の装幀だ。章題はすっかり忘れていた。始めを少し。
《 糞便(スカトロジスト)ビン
胎内回帰への願望
オナニストの世界
甘美なる私刑(リンチ)
禅介家の内ゲバ
”呪術”殺人学 》
こんな章題の小説を読んでいたのか。本棚には単行本十一冊。文庫本は何冊だろう。いつ読めるか。
《 小松左京の「十一人」っていうショートショート探してた。目次の不謹慎な誤植のせいで見つからなかった。 》 小松 一輝
目次には”土人”。『小松左京ショートシート全集1』ケイブンシャ文庫1998年初版で「十一人」を読んだ。ホラーだ。
《 CNN見てて思ったが、femaleとemailって発音もストレスも似てて聞き分けづらい。英語のリスニングは苦手だなあ。 》 森岡正博
https://twitter.com/Sukuitohananika/status/916651203290742784
《 「負傷兵の血や膿、汚物…失神しそうな悪臭だ」 沖縄・南風原で再現された陸軍病院壕の「臭い」 》 HUFFPOST
http://www.huffingtonpost.jp/2017/10/06/okinawa_a_23234745/?utm_content=buffer187a2&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
《 安倍晋三「我が逃走」 》