関川夏央・谷口ジロー『「坊ちゃん」の時代第三部 かの蒼空に』双葉文庫2009年3刷を読んだ。 石川啄木を中心に描かれている。時代は明治四十二年。1909年。
《 その生涯を通じて 啄木は至るところで金を借りまくりかつ踏み倒しまくった 》 159頁
《 彼はその借金の明細を死ぬまで忘れなかった しかし死ぬまで返済することも できなかった 》 159頁
鬱々とした場面の連続。石川啄木ではそう描くしかないか。某ブログのミステリ評の 一文に共感。
《 主人公の愚かな行動ほど、鬱陶しいものはない。 》
気分転換に23日にふれたハリス・アレクシーウ HARIS ALEXIOU のCDをかける。 やはりいい。掬いあげてくれる。
http://www.ahora-tyo.com/detail/item.php?iid=8497
《 弱った時にはカウリスマキ! 》 大野左紀子
http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20141129/p1
という人もいる。知らない監督だ。世界は広い。
《 いったい歴史に進歩という概念は適用できるのかどうか。時代はくだって、 数えきれぬほどの利便の増加を見たが、利便さゆえに人間が賢明になったという 証拠はどこにも発見できないのである。 》 313頁 関川夏央 1991年
それから二十年余。インターネットの出現で利便性は急速に増したが……。 視覚優位の時代、今こそ求められるのは五感、さらには統合するものとしての 共通感覚だろう。現在は腰が定まらない時代の気がする。定まらないというより、 硬化していると言ったほうが近いか。つまるところ感性の磨耗。統御の劣化。 洞察力の低下。だからこそ、誰でも時代を突き抜けられる可能性がある。それは 性別年齢などとは無関係だ。この私にも可能性はある。それよりも若い人に 可能性を見出し、声援するほうが効果があるな。
ブックオフ沼津リコー通り店へ自転車で行く。武田雅哉『蒼頡たちの宴』筑摩書房 1994年初版帯付、西加奈子『通天閣』筑摩書房2006年初版帯付、阿刀田高『遠い迷宮』 集英社文庫2007年初版、筒井康隆・柳瀬尚紀『突然変異幻語対談』河出文庫1993年初版、 計540円。片岡義男の文庫本、角川新潮などが四十冊近く並んでいた。手が伸びないなあ。 数えただけ。
関川夏央『二葉亭四迷の明治四一年』文藝春秋1996年初版の上にきょう買った二冊の 単行本を積む(崩れそうだな)。『かの蒼空に』では二葉亭四迷の葬式の手伝いに 石川啄木が狩りだされていた。この漫画シリーズでは二葉亭四迷を十分に描けなかった。 それでこの単行本で存分に書いたのだろう(って、まだ読まないが)。