2021-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「書の美を論ず」(閑人亭日録)

虫干しを兼ねて美術雑誌『国華』十冊余りを座卓上に置いて開く。といっても明治三十年代つまり二十世紀初頭の出版なので、扱いに気をつける。『第百六十一号』 明治三十六年十月五日発行に瀧精一「書の美を論ず(上)」。読んでみた。冒頭。《 書の美が美術…

心を掬する美術品(閑人亭日録)

心を掬(きく)する美術品しか購入してこなかった。凄く良いと思う作品も、私の好みではないものは購入見送り。 http://web.thn.jp/kbi/obuje.htm 味戸ケイコさんの絵でも、凄いと判断した好みの絵を購入した。味戸さんは、絵の好みがありますね、といったこ…

「ブルー・ノートの研究」(閑人亭日録)

山下洋輔「ブルー・ノートの研究」(雑誌『JAZZ』1975年9月号ジャズピープル社掲載)を再読。ブルー・ノートといってもレコード・レーベルではない。音階。《 ブルー・ノート(Blue Notes)そのものについての詳しい研究はほとんどないといってよいが、…

「熱討1969年の山下洋輔トリオ」(閑人亭日録)

新聞の週刊現代の広告に「熱討1969年の山下洋輔トリオ」の題。これは立ち読みしたい。新宿東口紀伊国屋書店裏のピット・インでの演奏、国立音大での演奏など、 熱々の山下洋輔トリオを生で聴いた。国立音大では平岡正明が司会。中村誠一のサックスを、今…

心を掬う絵(閑人亭日録)

二十代半ば、雑誌『終末から』筑摩書房の表紙を飾った味戸ケイコさんの絵が心に刻まれていたのだろう。池袋東口、パルコ内にあった詩の店ぱろうるで味戸さんの画集『かなしいひかり』講談社1975年に出合い、即購入。『あのこがみえる』偕成社1975年10月は、…

極、極み(閑人亭日録)

極、極みという言葉をよく見かける。昔は「究極の選択」くらいだったが、今朝の新聞折込広告には共楽園「究極のめろんぱん」。スーパーではタカノフーズ「おかめ納豆 極小粒」、栄屋乳業「極(きわみ)こだわり極プリン」、八天堂「極(きわみ)あんぱん」。…

原画→複製木版画(閑人亭日録)

明治後半の美術雑誌『国華』、田島志一の『審美書院』の、複製木版画の制作工程、制作現場の様子を知りたい。写真や記述である程度は知れるが。あのような優れた 複製木版画がどうしてできたのか。そこには古典作品への敬意と意気込みと卓越した技術がなけれ…

原画、画稿→複製木版画(閑人亭日録)

日差しが陰ってくると、部屋を涼しい風がさーっと吹き抜けてゆく。これは気持ち良い。午後の暑さがあればこその清涼感。暑さ寒さも彼岸まで。コーヒーが旨い。 以下二つのツイートについて。《 友人が百日祝いを済ませたばかりの娘さんの写真を送ってくれた…

遺産・遺品・遺物(閑人亭日録)

午前小雨。午後晴れ。晩雨。 彼岸花が咲いている。赤い花、白い花。彼岸花を悲願花と書き換えている記事。しみじみの秋。 遺産、遺品、遺物。金や金に換えられるモノ(財産)は遺産。貰い手のあるモノは遺品。邪魔なモノは遺物→お荷物。周囲を見回して考える…

墓碑・記念碑(閑人亭日録)

昨日の加守田章二展を見て、不遜な言葉が浮かんだ。ずらっと並んだ陶芸作品の印象だが、今朝「墓碑」という言葉が浮かんだ。 時代に埋没している作品=墓碑(的作品) 時代を超越している作品=記念碑(的作品) 墓碑で思うのが、忠魂碑。戦没者を慰霊する石…

『鈴木大拙』四(閑人亭日録)

竹村牧男『鈴木大拙』創元社2018年初版を少し読んだ。《 西洋の近代文明の背景に、科学・技術の発展がすことは周知のことです。(引用者・略) その立場は、まさに divide and rule の立場そのものです。ここでのruleは名詞ではなく動詞で、支配するという意…

『鈴木大拙』三(閑人亭日録)

竹村牧男『鈴木大拙』創元社2018年初版を少し読んだ。《 大拙は、華厳宗の「事法界(じほっかい)・理法界(りほっかい)・理事無礙法界(りじむげほっかい)・事事無礙法界(じじむげほっかい)」の四法界における 事事無礙(じじむげ)という思想を、大乗…

『鈴木大拙』二(閑人亭日録)

竹村牧男『鈴木大拙』創元社2018年初版を少し読んだ。《 大拙の浄土真宗研究は、やがて禅と浄土真宗とが一つに結ばれている地平を見出すものとなりました。私たち日本人がこの島国で何百年間、一緒に暮らしてきて、 そこに共通の宗教意識をはぐくむことにな…

『鈴木大拙』(閑人亭日録)

竹村牧男『鈴木大拙』創元社2018年初版を少し読んだ。《 そして、私たちのいのちの根底には、すべてを受け入れる母性愛のような心があることにも言及し、「西洋の愛には力の残りかすがある」とも指摘するのです。 》 17頁 昨日読んだ鈴木大拙『禅』、「第七…

『禅』三(閑人亭日録)

鈴木大拙『禅』ちくま文庫2006年11刷、「第六章 実存主義・実用主義と禅」を読んだ。《 実際、禅は生命そのものであるから、生命の構造をなすものすべてを含んでいる。すなわち、禅は詩である、哲学である、道徳である。生命の活動のあるところ、 どこにでも…

『禅』二(閑人亭日録)

鈴木大拙『禅』ちくま文庫2006年11刷、「第五章 禅指導の実際的方法」を読んだ。《 禅の哲学のいうところによると、われわれはあまりにも因襲的考え方、すなわち、徹頭徹尾二元的な考え方のとりこになっている。 》 129頁《 さきにも言ったように、禅は知性…

『禅』(閑人亭日録)

鈴木大拙『禅』ちくま文庫2006年11刷、前半を読んだ。《 禅においても、仏教の他のすべての宗派と同じように、カルナー(慈悲)とブラジュニャー(智慧)が車の両輪のように、ともに働く。 》 「第一章 禅」 16頁《 禅の真理はこのようなものであるから、そ…

「美」について(閑人亭日録)

睡眠中うつらうつらして美のことが浮かんだ。 「美」についての今の考え。 ・「美」は世界認識の更新を惹き起こすことである。 ・「美」は独立した概念である。 ・「美」は美醜に関係しない。醜の対概念ではない。 ・「美」は「美しい」とは関係性が無い。 …

曇天ときどき小雨(閑人亭日録)

曇天ときどき小雨。心身も曇天ときどき小雨。というか低調。丁重に動くしかない。そろそろと歩く。ときどき小休止。 昼食後、友だちとバスに乗車。ショッピングモールへ。バス代170円。私はダイソーで三個百円の羊羹を大人買い。ときおりなぜかこの羊羹を食…

加藤郁乎、中井英夫、種村季弘(閑人亭日録)

青春の先達、加藤郁乎、中井英夫、種村季弘。 俳句の加藤郁乎(いくや)。『加藤郁乎詩集』思潮社1971年10月20日初版、「自分よ、お前は…」から。《 四つで思い出したが、先日、静岡県三島市の一青年から『荒れるや』には『四運動の理論』などが出没している…

『モンガイカンの美術館』四(閑人亭日録)

南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年初版、残りを再読。《 「現代版画はどいつもこいつも二枚目である」 》 311頁《 いったい、三枚目なる現代版画というのは、可能なのであろうか? 》 312頁 このギャグが今、平成生まれに通じるだろうか? イケ…

『モンガイカンの美術館』三(閑人亭日録)

南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年初版を少し再読。引用したい箇所が多すぎる。《 しかし、私は岡本太郎の絵は好きではない。 》 173頁《 岡本太郎さんのサービスは、いくぶんリクツでするほうに傾いているようで、やってしまったものより、いっ…

『モンガイカンの美術館』二(閑人亭日録)

南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年初版を少し再読。引用したい箇所が多すぎる。《 私はポップアートの作品を見た時に、お値段と関係なく、ひどくしっくりと気に入る感じがあったので、で、ポップが好きになったのだったが、これはつまり、 この…

『モンガイカンの美術館』(閑人亭日録)

南伸坊『モンガイカンの美術館』朝日文庫1997年初版を少し再読。1983年に情報センター出版局から出た元本を読んで面白かったので、誰かに貸したら戻ってこない。 誰だったか忘れてしまった。この文庫が出てやっと再読。久しぶりにまた少し読んだ。やはりオモ…

「三連画」(閑人亭日録)

昨日読了した布施英利『パリの美術館で美を学ぶ』のくだり。《 キリスト教の伝統的な絵画の展示法に「三連画」というのがある。3枚の絵を一組として、一つの絵画世界を作るという手法だ。 》 249頁 布施は、ダ・ヴィンチの絵で三連画を夢想する。中央に『聖…

『パリの美術館で美を学ぶ』三(閑人亭日録)

布施英利『パリの美術館で美を学ぶ』光文社新書2015年初版、「第5章 美のある暮らし」「第6章 さらに、こんな美術館も」「第7章 パリの郊外へ」「第8章 南フランスへ」を読んだ。《 セザンヌの絵は、アトリエという概念を描いた、抽象画なのだ。セザンヌ…

『パリの美術館で美を学ぶ』二(閑人亭日録)

布施英利『パリの美術館で美を学ぶ』光文社新書2015年初版、「第2章 20世紀アートへ」を読んだ。《 絵画において、色は「目でみる」もので、言葉でみるものではない。 》 78頁《 美というのは、きれいとか、単に美しいということではない。たとえばこのよう…

『パリの美術館で美を学ぶ』(閑人亭日録)

布施英利『パリの美術館で美を学ぶ』光文社新書2015年初版、「第1章 西洋美術の入門」を読んだ。なかなか面白い。《 絵の見方は自由なのだ。 》 22頁《 ただ「きれい」なのが美ではない。もちろん、この後に続くロココの時代の美術など、いかにもフランス的…

前世紀に全盛期(閑人亭日録)

西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』新潮新書2012年初版を再読してヨーゼフ・ボイスの記事「戦後を代表するドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイス 偽りだらけの過去」を 思い出した。https://www.swissinfo.ch/jpn/culture/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E4%BA%BA…

ピクセル、アミ点、木版画(閑人亭日録)

昨日の西岡文彦『ピカソは本当に偉いのか?』新潮新書2012年初版で、ピカソとは別に印象に残った箇所。《 パソコンで見る画像の特徴は、それがすべてピクセルつまりは画素という極小の正方形のユニットで形成されていることにあります。(引用者・略)柔らか…