2021-05-01から1ヶ月間の記事一覧

『意味がない無意味』再読・五(閑人亭日録)

千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社2018年初版を少し再読。ボーッとしてるんじゃねえよ! と叱咤激励された気分になったのが、「言語、形態──松浦寿輝 『明治の表象空間』」。《 こうした『国体の本義』、『教育勅語』への批判は、しかしながら、内容…

『意味がない無意味』再読・四(閑人亭日録)

千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社2018年初版を少し再読。 20日に記した坂部隆芳さんに投函した葉書の二行が、『意味がない無意味』に関わってくると次第に思えてくる。《 前人未到の域を感じました。 現実を突き破る意気にたじろぎました。 》 葉…

『意味がない無意味』再読・三(閑人亭日録)

千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社2018年初版を少し再読。「思弁的実在論と無解釈的なもの」に至って瞠目。あるいは蒙を啓かれる。なぜ再読したのかが 腑に落ちた。《 本稿では、思弁的実在論をSR、新しい唯物論をNMと略記することにしよう。 》…

『意味がない無意味』再読・二(閑人亭日録)

千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社2018年初版を少し再読。《 世界は、たんにそうであるだけの、それ以上でもそれ以下でもない儀礼の体系として織りなされていると考えるのである。それは人間とは無関係な礼、非人間的な礼で ある。たんなる枠である…

『意味がない無意味』再読(閑人亭日録)

昨日話題の銅版画、松井正之『眠り』について”思いがけずに出来たようだ”と書いたが、夜半眠りからちょっと醒めた時、無意味~無意識の言葉が浮かび、連想が繋がり、 千葉雅也『意味がない無意味』河出書房新社2018年初版を少し再読。その前に付箋を外す。《…

『眠り』(閑人亭日録)

二日続けて作業をしたので、予想通りきょうは本を読む気力が出ない。軽く掃除機をかけてあとはグダグダ。心地よい午睡を愉しむ。用事をすませ、戸棚から静岡の画家の 1993年作の白黒銅版画(14X24cm)を取り出す。当時名前も知らなかったが、気に入って新作…

『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』続(閑人亭日録)

講談社文芸文庫 編『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』講談社文芸文庫2001年3刷、全11篇の後半を読んだ。読了。 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000168868 「性の根源へ」かなあ。性の諸相といった読後感。富岡多恵子『遠い空』が最も印象…

『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』(閑人亭日録)

講談社文芸文庫 編『戦後短篇小説再発見2 性の根源へ』講談社文芸文庫2001年3刷、全11篇の前半を読んだ。(読むのが遅い)。 https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000168868 昼前、源兵衛川中流部、源兵衛橋と下源兵衛橋の間の茶碗のカケラ、ガ…

温故知新(閑人亭日録)

小体な白い本で思い出した。加藤郁乎『微句抄』南柯書局1974年だ。新書判ほどの堅表紙の薄い本。近所の年上の知人に貸したが、急死。四十九日が過ぎ借用書を見せたが、 未亡人は大量の蔵書を古本屋に渡していた。戻ってこなかった六冊のうちの一冊。古本屋の…

『韻──本の故郷──』(閑人亭日録)

先だって届いた古本、初谷行雄編『韻──本の故郷──』韻文社1984年10月15日第一刷刊行を手にする。定価4500円。凝った本のようで安かったので買ってみた。 送料込みで1210円。装丁も製本も凝っている。表紙:菊判紋柄織布装。本文紙:NKマットカラー。本文の…

小体な本(閑人亭日録)

小体(こてい)という言葉を中井英夫の本で知った(と記憶)。住居や生活がつつましく、質素なさま、といった意味。小体な本は中井英夫では思いつかない。 本棚を渉猟。手にしたのは瀧口修造『画家の沈黙の部分』みすず書房1969年10月30日初版。 https://www…

堅表紙の小型本(閑人亭日録)

堅表紙(ハードカバー)の小型本が好き。中学生のとき、古本屋で文庫本と同サイズの裸本の堅表紙本に出合った。『日本探偵小説全集 短篇集 水谷準・大坪砂男』 春陽堂書店昭和29年7月25日発行、312頁。臙脂色の丸背本栞紐付、160円。一目惚れ。安かったので…

『薔薇の小部屋』(閑人亭日録)

内藤ルネ『幻想西洋人形館』サンリオ出版1974年10月25日初版が引いたのだろう、内藤ルネ企画の雑誌『薔薇の小部屋』創刊号第二書房1978年6月1日発行を当時購入。 「特集・なつかしの少女雑誌」には興味を惹かれず、「ルネの薔薇色博物館」の写真に惹き込まれ…

『サンリオ・ギフト文庫』(閑人亭日録)

段ボール箱二箱を開封。中はサンリオ・ギフト・ブックとサンリオ・ギフト文庫。殆どが1970年代に刊行されたもの。やっと整理する気になった。 今はない近所の本屋で偶然、内藤ルネ『幻想西洋人形館』サンリオ出版1974年10月25日初版に出合った。堅牢なカバー…

『超科学紙芝居 虚構の神々』二(閑人亭日録)

赤瀬川原平『超科学紙芝居 虚構の神々』青林堂1978年10月30日初版は、読めば読むほどさまざまな連想、想像、空想が浮かんできたり、降りてきたりする。その要を「あとがき」に求められる。《 この世は一つのものであるようだけど、この世の果てはいくつある…

『超科学紙芝居 虚構の神々』(閑人亭日録)

明日届くと思っていた古本、赤瀬川原平『超科学紙芝居 虚構の神々』青林堂1978年10月30日初版が、小雨の中、届く。この本、先だって百円で入手した月刊『ガロ』 1980年7月号の青林堂の出版広告で知った。一読驚嘆。赤瀬川原平の本で、死ぬまで手元に置きたい…

二つの『大岡信詩集』(閑人亭日録)

谷川俊太郎編『大岡信詩集 丘のうなじ』童話屋2015年初版と『自選 大岡信詩集』岩波文庫2016年初版の収録作品は、前者が67篇(多分)、後者が124篇(多分)。 両者に収録されている詩は33篇。多少間違っているかもしれない、なにせ粗忽者なので。両者…

「察知のアルゴリズム」(閑人亭日録)

『松岡正剛の千夜千冊』1770夜「ミシェル・セール 小枝とフォーマット」を再読していて(08)に至り、おお、と驚いた。 https://1000ya.isis.ne.jp/1770.html《 ノワーズはたんなる雑音(ノイズ)ではなく、「そこ」から発信されているなんともいえない「…

「銀座運河」(閑人亭日録)

昨日の東京新聞連載、長谷川櫂「私の東京物語」3は、大岡信の詩「銀座運河」から始まる。《 「西銀座三丁目。/そこにあつた新聞社で/十年間ロクを食(は)んだ。」大岡信の「銀座運河」という詩はこんなふうにはじまる。 》《 私が読売新聞に入ったのはそ…

「餘生の文學」(閑人亭日録)

吉田健一「餘生の文學」を『昭和批評大系 5 昭和40年代』番町書房1978年初版収録で読んだ。《 悲しみに堪へなくて書いた文章でも餘生の安らいだ息遣ひを感じさせ、それで始めてその悲しみもその文章を讀むものに傳はり、又その爲にその文章を讀むものがそれ…

『ミシェル・セール』九(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「補論 『結合法論』におけるライプニッツ」を再読。短い文章だが、 私には難解。ライプニッツを未読だからだろう。《 本論は、ミシェル・セールが『ライプニッツのシ…

『ミシェル・セール』八(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第3部 人類学 第6章 『作家、学者、哲学者は世界を一周する』」を 再読。《 自然と人間とのあいだの相関関係に閉じたループが形成されるとき、自然が「唯一なるも…

『ミシェル・セール』七(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第3部 人類学 第5章 『パラジット』」を再読。《 智恵も力もない「弱者」でありながら、他者との関係で奇妙なほど優位な位置を得るもの。つねに傍らにいて、自分自…

『ミシェル・セール』六(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第2部 エピステモロジー 第4章 『干渉』」を再読。《 セールによれば、ライプニッツの学問においては、学的対象はさまざまな学的アプローチの交差する「合流点」で…

『ミシェル・セール』五(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第2部 エピステモロジー 第3章 『ライプニッツのシステム』」を 再読。短い章だが、オツムが混線しそう(しているか)。《 ライプニッツにあっては、諸学問の総和…

『ミシェル・セール』四(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版、「第1部 人文学・美学 第2章 『自然契約』」を再読。《 流動的で目に見えない自然は、私たちを呑み込むほど大きな存在だが、じつは私たちによって踏みにじられるもの…

『ミシェル・セール』三(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版を少し再読。《 「あるがままの多」を、今、ここに始まるものとして捉えることは、それに関わる私たち自身にも、能動性を与えることになる。 》 「第1章 『生成』」 56…

『ミシェル・セール』二(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版を少し再読。《 個別なものが、普遍をある意味で包摂するというというとき、対象としての個別なものはどこかに隠された部分、汲みつくされない部分がつきまとう。そうし…

『ミシェル・セール』(閑人亭日録)

清水高志『ミシェル・セール 普遍学からアクター・ネットワークまで』白水社2013年初版を少し再読。読んだことは覚えているが、内容はすっかり忘れている。 初読時の日録を垣間見ると苦心してるわあ。以前のことは振り返らず初読の気持ちで。《 現実の世界は…

『ひみつの本屋』(閑人亭日録)

昨日のつづき。多義性を感知、認識するには、知識・経験・直観が必須。これは獲得するしかない。当然、私も獲得途上。そして思う。ヨハネス・フェルメールも ジョルジュ・ド・ラ・トゥールも、没後は忘却され、美術史の底に埋もれた。しかし、その魅力を知る…