2020-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「日本の絵100│西洋絵画100」続き(閑人亭日録)

昨日の続き。「山口晃の死ぬまでにこの目で見たい西洋絵画100」は正攻法の解説。パブロ・ピカソ『アヴィニョンの娘たち』。《 ピカソ作品ならこの絵がイカしてると思うのです。しかしこれをイカしてると思う自分の心証は水墨にシビれる心持ちの反映なのでそ…

「日本の絵100│西洋絵画100」(閑人亭日録)

雑誌『BRUTUS』マガジンハウス増刊号「会田誠の死ぬまでにこの目で見たい日本の絵100│山口晃の死ぬまでにこの目で見たい西洋絵画100」を読む。会田誠の 論評が読ませる。黒田清輝『智・感・情』。《 鹿児島の人には悪いけど、僕は黒田は褒めません。薩…

「軽み(と深み)」(閑人亭日録)

今月はほとんど音楽を聴いていなかった。聴く意欲が湧かなかったが、昨日のツイートから俄然聴きたくなった。菊池雅章『ススト』は昨日二度聴き。A面B面どちらも カッコイイ(死語かな)。1970年代は、私的には山下洋輔とアート・アンサンブル・オブ・シカ…

一休み(閑人亭日録)

曇り空。なのでオツムの動きが鈍い。お掃除したり、ゆっくり過ごす。コーヒーが旨い。ツイッターで話題の音楽を聴く。↓「ネット、うろうろ」参照。 白砂さんから電話。ギャラリーで待ち合わせ。白砂さんの作品搬出作業をお手伝い。二時間ほどで終了。雨が降…

白砂勝敏展最終日(閑人亭日録)

白砂勝敏展最終日。きょうもいろいろな人が来訪。多くの驚きと笑顔を生んで終了。撤収。午後時八時過ぎ帰宅。昨年十二月の牧村慶子展(千葉県習志野市津田沼)、 白砂勝敏展と全費用私の持ち出しでやったが、そんな(バカげた)企画展はこれで終わり。しばら…

きょうも白砂勝敏展へ(閑人亭日録)

ほぼ一日白砂勝敏展会場にいる。休日のせいか、来館者でとても賑わう。楽しい出会い、面白い会話。白砂さんは商品を渡す人を間違えそうになる。 午後七時過ぎ気持ちよく帰宅。 ネット、うろうろ。《 本棚のあるはずの場所に『エンサイクロペディアアワサカナ…

白砂勝敏展(閑人亭日録)

ほぼ一日白砂勝敏展会場にいる。最後の来訪者はクリスチャンの物静かな女性。白砂さんの作品をとてもお気に入られる。私の注目していた作品をご予約。よかったあ。 午後七時帰宅。 http://www.via701.net/galleryinfo/11412 https://shirasuna-k.com/ ネット…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』九(閑人亭日録)

最後の対話、富岡多恵子との対話「XI 言葉の力」を読んだ。《 富岡 今の日本の詩がなぜひとびとと離れているかというと、言葉のなかにコブシを失ってしまったからです。 》 393頁《 中村 言葉そのものについてコビシがあるかないか、という問いに驚いたんで…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』八(閑人亭日録)

勅使河原三郎との対話「X ダンスという領域」を読んだ。《 勅使河原 僕たちがやりたいことは、次に何が出るか、という演劇性なんです。言葉になる以前の状態の力によって新たな演劇性をつくろうとする。そういう意味で ダンスもある演劇性を持っているわけで…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』七(閑人亭日録)

西垣通との対話「IX 電脳文化の可能性」を読んだ。《 西垣 だからAIでも、知識工学などというのは、お金と密着した形の技術です。知識はお金であり、力である、それを合理的に組み合わせてやっていくんだという 考え方がある。そういう意味では、確かにユ…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』六(閑人亭日録)

藤田博史との対話「VIII 文化のなかの精神医学」を読んだ。《 中村 藤田さんが四年前にお出しになった『桜さくら桜」という句集はおもしろかった。(中略) 例えば、「父という名に守られて生きているすべての人たちに幸あれ」。 「何かしたいということだけ…

 『中村雄二郎対談集 対話的思考』五(閑人亭日録)

青木保との対話「VIII オリエンタリズムの逆説」を読んだ。《 青木 私自身の経験的見方からすると、東南アジアの仏教は輪廻転生ですから、祖先崇拝はありません。東アジアでは祖先崇拝と仏教が結びついた。しかし、中国では 「儒家」とはいわず「儒者」であ…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』四(閑人亭日録)

松岡正剛との対話「 V 情報人文主義の行方」を読んだ。《 松岡 相手がいて、相手と相互作用を起こさないと「意味」を発揮しないという物質、これは乗り物としては物質と呼んでいいけれども、そこに乗っているもの、 一言でいえば「意味」ということだと思い…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』三(閑人亭日録)

オギュスタン・ベルクとの対話「 III 場所と風土と日本人」を読んだ。《 中村 そこで私は、東アジアの風土性のポイントの一つは、空白と充満ではないかと感じたのです。 例えば、日本ではお能の舞台は完全に空白です。空白だけれども、あれは無意味な空白で…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』二(閑人亭日録)

金子郁容(いくよう)との対話「 II 人間の弱さと強さ」を読んだ。1993年の対話。《 中村 近代の人間像では、「健康な青壮年の男性」というのが価値モデルでしょう。いつごろからそういう価値が生れたのかということも問題だけれど、近代において、 特に生産…

伊豆稲取お散歩(閑人亭日録)

朝九時車に同乗、伊豆稲取へ。午後一時から稲取の街中を案内人の後をついて歩く。その後テーブルを囲んであれこれ感想を述べる。海岸から山の斜面までの狭い所に 家屋が背を寄せ合ってつながっている。そこの細道はどれもじつに急斜面の坂。これは熱海よりも…

『中村雄二郎対談集 対話的思考』(閑人亭日録)

『中村雄二郎対談集 対話的思考──好奇心・ドラマ・リズム』新曜社1999年初版を少し読む。「まえがき」結び。《 私があえて、《哲学はリズムである》と主張するのは、哲学が究極的にめざすべきは生命のリズム、宇宙のリズムとの一体化であると思うからであり…

『中村雄二郎対話集 現代芸術の戦略』九(閑人亭日録)

『中村雄二郎対話集』でした。対談は間違い。ああ、恥ずかしい。 『中村雄二郎対話集 現代芸術の戦略』、美術批評家・青木史郎との対談、最終章「「A-POC」の哲学」を読んだ。《 A-POC(エイポック) A Piece Of Cloth (一枚の布)の頭文字から取っ…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』、梅原猛との対談「西田哲学の彼方へ」を読んだ。《 中村 ただね、ひとつ言っておきたいことがある。それはこういうことです。デカルトはたしかに一応明晰です。しかし、明晰であることによって見えなくなったことも 少…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』七(閑人亭日録)

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』、磯崎新との対談「文化空間の〈群島〉化と〈日本的なもの〉の崩壊」を読んだ。《 磯崎 おおまかに言うと、日本の近代は西洋の文化をそっくりそのまま移植しているのではなくて、いちばん最初から西欧的な視点に基づいて…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』六(閑人亭日録)

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』、中川幸夫との対談「贅沢に近づく」を読んだ。短く濃い内容。《 中村 ヨーロッパでは、芸術において美と崇高というのは両方なくてはならない要素です。ところが美というのはわかりやすいけれど、崇高はわかりにくい。一…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』五(閑人亭日録)

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』、大江健三郎との対談「文学・哲学・宗教」を読んだ。熱のこもった話が続く。《 中村 想像力あるいは想像に対する評価は、時代を遡れば遡るほそ低くて、ギリシア語のファンタスマは妄想のことなんですよ。 大江 ああ、そ…

「村松 茂 回顧展」(閑人亭日録)

一日「村松 茂 回顧展」の会場でお手伝い。閉廊近くになって知人の現代美術画廊の女性オーナーが来訪。なんと一点お買い上げ。仰天。 村松茂さんは二年前の夏に六十五歳で病没。この展覧会が初の展示。私が画廊を紹介。演奏者の舞台の背景を飾る絵で、殆どが…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』四(閑人亭日録)

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』、A・ルロワ=グーランとの対談「人間はいかにして空間と時間を手なずけたか」を読んだ。続いて作曲家西村朗との対話を読んだ。《 西村 作曲家の立場から今のお話を受け止めて考えますと、宇宙にまず基底音があって、そ…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』三(閑人亭日録)

『 対談集 現代芸術の戦略』青土社2001年初版、英文学者高橋康也との対談「シェイクスピアという宇宙」を読んだ。実に深い内容。《 中村 パスカルにもあったコスモスのなかでの人間という観点がシェイクスピアのなかにもあって、哲学でも演劇でも、ただ明晰…

『中村雄二郎対談集 現代芸術の戦略』二(閑人亭日録)

『 対談集 現代芸術の戦略』青土社2001年初版、武満徹との対談「表現としての音・音楽」を読んだ。《 中村 音楽を耳で聴くとか、絵画を目で見るということは、結局はそう言って間違いではではないのだけれど、問題はその意味する内容がどういうことかなんで…

『中村雄二郎 対談集 現代芸術の戦略』(閑人亭日録)

『 対談集 現代芸術の戦略』青土社2001年初版を読み始める。最初の佐藤信夫との対談に興奮。1979年の対談だけれど、去年の対談のように新鮮。今読んで 正解。知的刺激をガンガン受けっぱなし。この対談一つできょうは終わり。終了近くから引用。《 佐藤 もう…

『加納光於論』(閑人亭日録)

ネット注文した古本、大岡信『加納光於論』書肆風の薔薇1982年初版が届く。早速読んだ。加納光於の作品はなにがどこが魅力なのかわからない。わかりたい。そして わかったこと。まるで北一明の作品を論じているよう。『「陶壁にて」まで│加納光於論新考』198…

「古いハスのタネ」(閑人亭日録)

昨日の流れで須賀敦子「古いハスのタネ」を読んだ。前半の宗教と後半の小説を結ぶ蝶番のような箇所。《 文学と宗教は、ふたつの離れた世界だ、と私は小声でいってみる。でも、もしかしたら私という泥のなかには、信仰が、古いハスのタネのようにひそんでいる…